2008年06月22日

6月21日(土)午前4時過ぎパキスタンへ到着

JFSAの皆さんへ
 6月21日(土)午前4時過ぎにムザヒル校長宅(空き部屋をJFSA現地連絡事務所として、月4000円で借りています。)に、無事到着しました。カラチ空港には定刻の24時30分を3時間も遅れて到着しました。経由地の北京空港で、突然激しい雷雨となり3時間ほど待機した為に北京からの出発が遅れてしまったからです。
 成田から北京までは、中国への帰途と思われる大勢の中国人の日本観光客で満席でした。5〜6年前までは、機内にいる中国人といえば不法就労で逮捕され強制送還される数人の人ぐらいでした。しかし、中国の急速な経済発展と共に、日中間のビザ取得の制限も緩くなった為、中国人観光客が日本を訪れるようになりPIAのこの便も満席になる事が多くなりました。。ワシの隣の席にイヤホンをつけて音楽を聞いている若い中国人の娘さんが座ったので、英語で話しかけましたが英語が話せないようで一瞥された後、無視されてしまいました。(中国語を勉強するぞ!、????)
 カラチ空港には、ムザヒル校長を始めワリーさん、シーラーさん、サリームさん、サドゥー君、そしてグドゥー親子(嫁さん、5月末に生まれたばかりのアフマッド君)が出迎えに来てくれました。アルカイールアカデミーの関係者は全員元気な様子でした。成田空港のゲート待合所でばったり会ったカラチ大学で留学しているN君も同じ便でカラチに到着しましたので大学の寮まで送ってもらいました。
 今日はアルカイールアカデミーに行き、子ども達に会う予定でしたが、昨年まではなかった国民の祝日となっていて学校は休みとなりました。今日、6月21日は昨年暗殺されたベナジール・ブット元首相の誕生日なので、彼女を称えて国民の祝日となったとのことでした。
 今日は、ムザヒル校長とカユーンAKBG事務局と輸出入事業推進の為のミーティングを行ないたいと思います。
JFSA事務局海外事業担当 西村
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6月20日(金)西村事務局がパキスタンへ出発


20-06-08_1301.jpg20日(金)、JFSA事務局海外事業担当の西村が、パキスタンへ向けて出発しました。今回は、5月28日にJFSAでボランティアの方々とともに積込んだコンテナが6月25日にカラチ港に到着するため、その荷物の確認、またAKBG(アルカイール事業グループ)と現地業者との価格交渉への立会い、などが中心になるかと思います。
今頃はパキスタンのカラチといえば年間を通して一番暑い時期です。そんな時期に、新聞にも載っていましたが、政府による計画停電(発電量が追いつかないため強制的に停電にする)が頻繁に行われ、人々の間にはかなりの不満が募っているようです。夜にパンカー(天井に取り付けられた扇風機)が止まってしまったら、暑さで目がさめてしまいます・・・。
現地からのレポートが届き次第JFSAブログにアップいたします。
帰国は7月7日(月)の予定です。
JFSA事務局 依知川

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2008年04月07日

地震被災から2年半を経たパキスタン北部山岳地域


バラコート山並み 066.jpg←(左)ケート村周辺の山並み

アルカイールアカデミーが地震発生直後から支援しているケート村(標高1000メートル)の山並みは、この写真のように二年半を経た現在も地震の爪跡を残しています。(山肌の白い部分は地震によって崩落した跡です)
幹線道路は殆んど復旧されましたが大雨が降ると大きな落石で埋まってしまうこともあります。

バラコート幹線道路 070.jpg←(左)大雨のたびに落石のある幹線道路

また、幹線道路から村々に通じる山岳道路は復旧工事が今も進められていますが、標高が高い所にある道は寸断されたままの所が沢山あります。
地震によって寸断されたものは道路だけではありません。電線や水のパイプラインも寸断されました。しかし、その殆んどは被災の一年後には仮設ではありますが復旧されました。
(電気はよく停電し、水のパイプラインは大雨が降るたびに寸断されてはいますが・・・)それでも、昨年の始め頃まで幹線道路沿いにあったテント村で暮らしていた人々の殆んどはそれぞれの住んでいた山村に戻り、政府やNGOの支援を受けて仮設家屋を建てて暮らしています。

バラコートケート村200.jpg←(左)ケート村の風景

崩落を免れた段々畑にはトウモロコシやからし菜の苗が植えられています。これらの作物は自給の為に使われます。生活に必要な現金は、大都市や外国に出稼ぎに行っている夫や息子達の仕送りに頼っています。
地震によってすべて倒壊した学校は、幹線道路沿いにあったものは新たに建設されましたが、山間にあった学校の多くは未だユニセフなどが支給した大テントで授業を行なっています。
アルカイールアカデミーとJFSAの支援によって作られた、ケート村にある青空学校(大テント)も、一昨年の夏に大雨で敷地となっていた段々畑とともに崩れ落ちてしまいました。

バラコート青空学校全景 043.jpg←(左)青空学校の全景

しかし、その後、昨年の秋に、村人の協力により、崩れ落ちた段々畑を石を積み重ね、その上をコンクリートで補強し木造の校舎が建設されました。雪も降り積もる厳しい冬に間に合い、子どもたちを寒さから守る事が出来ました。
アルカイールアカデミーの、「救援物資を配るだけの支援に終わることなく継続的な支援を行なおう」という考えで、この青空学校は作られたのです。先生一人、生徒数が三十人足らずの小さな学校ではありますが、JFSAを支えてくださっている日本の人々の被災直後の緊急支援カンパ金を運用し、アルカイールアカデミーが運営しています。

バラコートムザヒル校長209.jpg←(左)ムザヒル校長の授業

しかし、そのカンパ金も向こう二年間で使い終わります。それで、その二年間で、村人とアルカイールアカデミー、 JFSAが知恵を出し合って事業起こしをして、二年後は自立した運営をしていく計画を立ています。この計画を、地震によって身近な人々を失いながらも熱心に学んでいる子ども達の姿を支えにして、実行していきたい思います。

↓(下)青空学校のハルーン先生の授業

バラコートハルーン先生206.jpg









↓(下)青空学校の子どもたち

バラコート青空学校の子どもたち044.jpg







↓(下)ケート村の子どもたちと西村事務局

バラコートケート村の子どもたちと024.jpg









↓(下)地震で亡くなった村人の墓
沢山の子どもたちも地震の犠牲となって、この墓地に埋められている。

バラコート地震で亡くなった人たちの墓265.jpg
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2008年03月26日

JFSA事務局員、無事帰国しました!

無事帰国しました!!
JFSA事務局の私、依知川は3月10日〜20日の派遣を終え、無事帰国しました。また昨年12月から約3ヶ月派遣していた海外事業担当西村も一昨日無事帰国しました。
今回の派遣は現地の総選挙を含め政情が不安定な時期での派遣でしたので、これまでにも増して安全に留意しました。(その為滞在しているムザヒル校長宅からの外出を控えることもありました。)
西村事務局は、現在のアルカイールアカデミーの教育事業(本校、カチラクンディ分校、地震被災地の青空学校)の確認、JFSAがAKBGと協力しての初めての取り組みであるムルタン地方の焼き物(蚊取線香立て)の日本への輸出業務、今年1月30日に日本で積込んだコンテナを現地で受け取る業務、AKBGと業者との価格交渉への協力などを中心に活動しました。
また、2月にNHKの「週刊子どもニュース」にJFSAが取り上げられた際には、現地から西村事務局が国際電話で出演し、政治的な動きにつねに翻弄されるスラムの人々の暮らしの様子を、これまでの現地の人々との直接的な関わりを土台にお伝えしました。
私は西村事務局の案内を受け、アルカイールアカデミーとカチラクンディ分校を訪問し、今回は特に学校に併設された診療所での医療活動の視察を中心に行いました。

取り急ぎご報告までです。

JFSA事務局 依知川

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2008年03月18日

パキスタンからのこぼれ話…

「イザールさんの息子さんの結婚式に参加」

イザハル氏長男の結婚ョ08年3月12日縮小版.JPGアルカイール・アカデミー福祉協会の理事で日本にも招聘したことのある、イザール・アーマッドさんの息子さんの結婚式に招待され出席しました。
パキスタンでの結婚式は、招待状に「午後9時から」と書いてあれば大概始まるのは午後10半以降だそうです。
この日はムザヒル校長らとともにパーティー会場に着いたのは午後11時。食事の準備が整ったのは午後11時40分くらいでした。
「招待状の時間と全然違うじゃないか!」と文句の1つも出そうですが、こちらでは当たり前のこと。参加者は準備が整うまで雑談を楽しんだり、子ども同士で遊んでいました。それでも自分は質問したくなり「どうして皆もっと早く始めないのですか?」と聞いたら、「人が集まらないから」とのこと(他にもいろいろな経緯があるのかもしれませんが)。
でも彼らからすれば招待状(計画)どおりに始まり、滞りなく物事が進むことを良しとする日本の風潮に対して「なんで?」と言われるかもしれません。
結婚式の規模や様式は各家族の経済力などによっても違うそうですが、イスラム教徒の結婚式に共通しているのは基本的に男女別々の会場で行われるということです。
この結婚式も私たちが通された会場は男性のみ。子どもたちだけが女性の会場と行ったり来たりしていました。
食事は幾つかの種類のカレーと、ナーン、サラダ、そして祝い事には欠かせないビリヤーニ(肉などの具が入った炊き込みご飯)、アイスクリームと豪華でした。
ナッツの入ったアイスクリームを食べながら、出席者を回り挨拶・談笑している花婿やその父親であるイザールさんの姿を見ているうちに、何時に始まろうがどんな形であろうが、新郎新婦やその家族を祝福するための会には変わらない、むしろ形式を重んじすぎ、なにもかも滞りなく進むのも味気ないなぁ、などと思いました。
「シャディ・ムバラクホー!(ご結婚おめでとう!)」
JFSA事務局 依知川

「ニアーズさん宅での夕食会」

二アーズさん宅食事風景.JPGAKBGがJFSAから輸入した古着を主に卸売り販売している相手業者であるワリーさんと従兄弟にあたり、子ども服が専門のニアーズさんの家に夕食に招待されました。
初めてパキスタンを訪問したときは「食事に招待」と聞くだけで緊張しましたが、お互いに食事に招待することはパキスタンではごく一般的で、信頼関係を築くコミュニケーションの場となっています。
ニアーズさん、ワリーさんはパシュトゥーン人です。
カラチで古着販売商を営む人、また現場で各国から届くコンテナから荷降ろしをしたり、梱包したりする労働者の多くは彼らと同じくパキスタンとアフガニスタンにまたがって暮らすパシュトゥーンという民族の人々です。生活用語は公用語であるウルドゥ語ではなくパシュトゥー語であり、男女間のパルダは厳しく、食事に女性が同席することはありません。

二アーズさん宅手洗い.JPGさて今回の料理も基本的には日本では「カレー」と一括りにされるスパイスを使った料理が中心で、それに小麦粉や全粒粉を練って焼いたローティー、野菜という食事のスタイルは共通しているのですが、幾つかの特徴がありました。
←@食事の前に手を洗う(左の写真)。
Aムザヒル校長たちムハジール(インドからの避難民)の人々の食事に比べ辛さが少ない。
そして何より・・・



二アーズさん宅ローティ.JPG←Bローティーがとても大きい(右の写真。ムザヒル校長の家でいただくローティーに比べ面積で言えば2倍以上ありそうです)。
客人歓待を重んじる彼らの計らいで大きなローティーを出してくれたのかと聞いたら、「毎日これだよ」とのこと。驚きました。。仮に日本でも県ごとに異なった民族が暮らしているとすれば「千葉人は皆、茶碗ではなくドンブリでご飯を食べている」みたいなものでしょうか?(貧困な喩えですみません・・・)
このような夕食会に限らず、家族以外の人が食事に同席することは多々あります。
ムザヒル校長の家にいても食事時に友人・知人が訪れれば「まぁまぁ一緒にどうぞ!」ということになります。また通りを歩いていて知人の店の前で挨拶を交わせば「チャイはどうだい?冷たい飲み物がいいかい?」という言葉をかけられます。そしてこれらの言葉はたてまえではなく「本気」なのです。
日本にも「同じ釜の飯を食う」という言葉がありますが、パキスタンの人々にとっては食事を共にする人間関係の範囲がもっと広いのかもしれません(もちろんそれを裏で支えている女性の働きには頭があがりません!)。また、全ては神様から与えられているものだ、という共通した思いからなのでしょうか。ムザヒル校長に尋ねてみたいと思います。
JFSA事務局 依知川

「チャイハネの少年」

チャワラ.JPG車で移動中に幹線道路沿いのチャイハネ(日本風に言えば喫茶店・オープンカフェといったところでしょうか?)に寄りました。このような店では給仕している少年をよく見かけます。この少年(写真右)に歳を聞くと「12歳〜15歳くらい」とのこと。スラムで暮らす子どもたち、そして大人たちでも自分の歳を知らない人々が大勢います。
自分がチャイを飲んでいる時に少年と目が合うとすぐに「他に何か?」と聞かれました。その反応の早さからも彼がこの仕事のベテランであることが伺い知れました。
彼はチャイを運ぶだけではなく、店主の指示に応じてトマトやそれを量るための秤を抱えて店内を何度も往復していました。
この少年がどんな経緯で仕事を始めたのか?学校へは行っているのか?・・・短い時間だったこともあり尋ねませんでしたが、別れるときに「ありがとう、あなたのチャイはとても美味しかったよ!」と伝えたら笑顔を見せてくれました。
JFSA事務局 依知川

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2008年03月15日

第26回送り出しコンテナ荷降し作業


第26回送り出しコンテナ荷降し作業08年3月9日後ろ.jpg2月26日にコンテナがカラチ港に到着して13日目の今日3月9日に港からようやく搬出する事が出来ました。
いつもは、コンテナが港に着いてから3〜4日で税関の検査を終えて港から搬出できるのですが、今回はコンテナを船から降ろす重機が数台故障していて大分遅れてしまいました。



第26回送り出しコンテナ荷降し作業08年3月9日コンテナ内.jpg今日は日曜日なのでAKBGの古着販売バザールと重なり販売チームの卒業生が作業に参加する事が出来ませんでした。
それに、卸業者のワリーさんも荷役労働者を2名しか集める事が出来ず、ママダリ(アルカイール卒業生でタクシーの運転手)・カユーン(AKBG事務局、いつもは記録係)・ムザヒル校長(いつもは監督)・西村(病み上がり)・サドゥ(ムザヒル校長の息子12歳)、アブドッラ(ワリーさんの弟)二人の少年が一丸となって荷降し作業を行ないました。
コンテナが到着してワリーさんも私も驚いたのは、コンテナがAPLのものではなかったことです。カユーンが間違って手続きをしたのではと、彼を皆で責めました。しかし、コンテナの扉を開くとまさしくJFSAの荷物だったので全員ホッとしました。
ところが、荷物を取り出し始めるとベールの間からハンカチやベルト、帽子がバラバラにされて出てきました。

第26回送り出しコンテナ荷降し作業08年3月9日 018.jpg(←中味を盗まれたベールを梱包していた布)
ハンカチはベールの袋だけになっていたものがあり、帽子やベルトの柄袋は切られていてカラの状態でした。この状態がコンテナの半分近くまで続きました。
二アーズ(ワリーさんの従兄弟)もワリーさんも怒っておりました。税関の検査の時に盗まれたようです。
(特にJFSAの活動の初期には荷物を盗まれるということは度々ありましたが、それ以降はAKBGとJFSAが協力して対策を考え、現地パキスタンのエージェントにも働きかけたことで盗まれることもなくなっていました。)
AKBGのエージェントを通して、検査を行なった税関に抗議したいと思います。また、海運会社であるAPLにも調査を求めたいと思います。(パキスタンの人々は抗議しても無駄だと言っておりますが納得がいきません!)

第26回送り出しコンテナ荷降し作業08年3月9日軽トラ.jpg(←荷物はコンテナから次々に軽トラックに載せかえられ、ワリーさんの倉庫へと運ばれます。)
その上、ポリスがかわるがわるやって来て賄賂を要求し、ワリーさんは合計で2000RS(約4000円)ほど渡しました。ポリスや税関の検査官など法律を守らなければならないものがこのような状況であることを目のあたりにしてパキスタン社会の問題の深刻な一面を感じました。
今回はさんざんな荷降し作業となってしまいました。疲れました。


第26回送り出しコンテナ荷降し作業08年3月9日西村さん、アブドゥッラ、サッドゥ.jpg←左サッドゥ君(ムザヒル校長の息子)、中央アブドゥッラ君(ワリーさんの弟)、右JFSA西村

JFSA事務局海外事業担当 西村

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2008年03月13日

原野理事、依知川事務局パキスタンに到着

JFSAは現在、原野理事と私、事務局依知川をパキスタンに派遣しています。
(原野理事3/10〜14、依知川3/10〜21)
こちらでは西村事務局と合流し、アルカイール・アカデミー本校、カチラクンディ分校やその周辺に暮らす生徒の家庭を訪問しています。

アルカイール診療所.JPG←(左原野理事、奥ドクターと患者の女の子、右西村事務局)
11日にアルカイール・アカデミー本校の診療所を訪問し、診察を見学した際の様子です。
次々に訪れる患者さん(親に連れられて来たり子ども同士で来たりします)に、ドクターは「朝食は何を食べたんだい?」など様々な質問をしていました。
「ラスク2枚とチャイ」という子どもも多いようでした。
ほとんどの子どもが年齢に応じた平均体重・身長に比べ大分軽く、小さかったです。
男の子の民族服の上から肩に手を当てると、そのその線の細さに驚かされます(民族服は体の線が見えないフワッとしたものなので見た目には分かりづらいのです)。

カチラクンディ診療.JPG←この写真は12日にカチラクンディ分校の診療所を訪問した際のもので、写真左のドクターが女の子の「耳掃除」をしているところです。
始めに大きな注射器のようなもので、繰り返し耳の中を水で洗浄しました。すると中から大きなゴミがボロッと出てきました。中がきれいになると綿でふき取り、薬を塗っていました。
一見簡単に見えるこの「耳掃除」は子どもたちにとってはとても重要で、原野理事(四街道徳洲会病院院長)の話では「このまま放置していれば耳小骨が壊れ、一生耳が聞こえなくなることもある」とのことでした。
ゴミが野焼きされるこのカチラクンディで生まれ、暮らし、一定の歳になれば仕事もしている子どもたちの多くはこの女の子と同じ様な状況だと思います。
ドクターは子どもとともに診療所を訪れる親に「濡らした布で耳の中を掃除してあげてください」と伝えているそうですが、この子のように耳が聞こえづらくなったりして診療所を訪れ「耳掃除」を受ける子どもたちは大勢いるそうです。
日常的な予防医療としての「耳掃除」の重要性を再認識しました。

カチラクンディ子ども.JPG←カチラクンディ分校前にて撮影。

JFSA事務局 依知川
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2008年03月04日

街の風景…様々なお店たち

今回はカラチの街の風景をご紹介します。
街にはリアカーでの野菜やジュースなどの引き売りなど移動販売を含め、様々な店があります。
店から、現地の人の暮らしが垣間見えます。

JFSA事務局 依知川

以下、現地派遣中の西村事務局から届いた写真をご紹介します。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

アルカイールの前の引き売り.jpg←アルカイール・アカデミーの正門前で、鳥の手羽をマサラでまぶして焼いて売っている少年達。
学校の前の広場には同様の引き売りの店が何軒か並びます。
休憩時間に駄菓子やチョーレー(豆や野菜をマサラで和えたもの)、ジュースなどを買う子どももいます。


カチラクンディ総菜屋.jpg←カチラクンディの集落の中にある惣菜屋?さんです。魚を鉄板の上で油で炒めていました。カチラクンディ分校の先生が、魚を炒めている人に尋ねました。「どんな油を使っているのか?」と。
しかし、答えは返ってきませんでした。でも、おいしそうでした。



廃材で作った椅子屋.jpg

←病人用のトイレ用のイスや、腰掛などを廃材で作って売っている店。




中古の扉屋.jpg

←中古の鉄製の扉を売る店。





ケータリングの原点.jpg←移動販売の原点ともいえる自転車のお店。
この人は髪用の油売り屋さんです。
油には、様々な種を絞ったもの、動物の脂から取ったものなどがありました。
油売り屋さんに脱毛を止める油はあるかと聞きましたが無いという事でした。


バッテリー屋.jpg


←日本の大阪のバッテリーを販売している店。
(左の方にOSAKAという看板が見えます)



ブリキ屋.jpg


←ブリキで作られた製品を販売する店。




雑貨屋.jpg


←雑貨やお茶の葉などを売る店。




肉の卸屋.jpg

←近くの屠殺場からレストランに直接卸売りをしているようです。

JFSA事務局海外事業担当 西村
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2008年03月03日

バザールで働く子ども


バザール08年2月働く子ども 018.jpg
バザールでジュース売りをする子ども。
クーラーボックスに氷を入れ冷えたジュースパックを売っています。
カラチも急に暑くなってきたので、これから売れるでしょう。
写真を撮る私をしばらく睨みつけていました。




バザール08年2月働く子ども 019.jpg
アマダリ(アルカイール・アカデミー卒業生でAKBG古着販売チームのメンバー)に頼んで、写真を撮った少年からジュースを買ってもらいました。
お金を渡す時、アマダリが「ハンサム!写真を撮りたいとさ」と言ったら笑ってくれました。
今度、彼に会ったら睨まれることはないかもしれません。
いろいろと話が出来るようになりたいと思いました。



グルシャンバザール1月13日08年 007.jpgバザールで古着の販売をしていて困ることの一つに、トイレが少ないという事があります。
800店以上の出店があるのに、トイレは二箇所で4室しかありません。
仕方なくバザールの横のパーキングに止めてある車の陰で、座り込んでやらなければならない時もあります。そんな時です。
車の荷台に座っていたこの写真の少年が、「お前は日本人だろう」と言いました。
話もしない前に、顔を見ただけで日本人だろうと言われたのは初めてでした。
普通は中国人かパシュトウ人といわれるのですが、この子は違っていました。
「どうしてわかった?」と聞いたら、オシッコの仕方がパキスタン人と違うし、彼の兄貴が日本の会社のドライバーをしていて何度か見た日本人と似ているからだと言いました。
この少年は、バザールで働く人を相手に、家で仕込んできたカレーなどをこの軽トラの荷台で温めて売っているのです。
バザールではパーキングで物を販売する事は禁じられていて、出店料を払ってバザール内で販売をしなければなりません。それで彼に聞いてみました。
「こんな所で商売をやっていると巡回しているポリスに捕まらないか?」と。
彼はニヤッと笑って「コーイバートネヒンヘイ(何の問題もない)ワイロを払っているから」私は、腹の据わった物言いをするこの少年をすっかり気に入ってしまいました。

グルシャンバザール1月13日08年 019.jpgカレーを売っている少年の所には、バザールで荷物運びの仕事をしている少年達も来て、ここで食事をします。
「こいつのは安くてうまいんだ」と言っていました。カレーを売っている少年はこのバザールで働く少年たちに好かれているようです。
私は、この少年に信用されれば、ここで働く少年達の仲間にしてもらえそうだと思いました。
何とか彼に気に入ってもらえるようにしたいものです。
ムザヒル校長も、学校に通う事が出来ない彼等に関心を示していました。
(彼は、すぐ、彼等に算数の問題を出すので疎まれないかと心配になりますが、彼の独特のスマイルは彼等を惹き付けているようでした)

JFSA事務局海外事業担当 西村

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2008年02月25日

カチラクンディ分校の診療所


診療所1.jpg女の子が足を引きずりながら友達とやってきました。足の傷が化膿していて随分痛そうでした。
ヨードチンキを塗られて涙をポロリ。(もう日本では見る事がなくなりましたが、これが塗られるととても痛いことを思い出しました)。
ついてきた友達も心配そうに覗き込んでいました。
女の子にDrスルタンが年齢を聞きましたが自分の歳が分かりません。(この集落では大人も子どもも正確な歳を知りません)


診療所2.jpg女の子達は、診療所にくる時は友達を連れてやってくるようです。授業中にやってくる子も多いので、先生がそのように指導しているのかもしれません。(確認してみます)
現在、薬などをDrスルタンの指示に従って薬を渡しているのは門番をしているハルーン氏です。今まで頑張ってくれていた看護婦さんが辞めてしまったのです。アッバース主任先生の話だと医者になる為の勉強をする為に辞められたそうです。
診療所の主とも言われているアルカイール卒業生のママダリは、「逃げたんだよ」と私の耳元で囁きました。
確かにミドルクラス出身の彼女にとってここの環境は辛いものがあったと思います。しかし、もし医者を目指すということであればここの経験を忘れずに良い医者になって欲しいものだと思います。


診療所3.jpg


(←左の女の子が患者さんです)








診療所4.jpg耳の痛みを訴えたので、Drスルタンはレンズで耳の中を覗きました。「西村さん見てください」と言われたので中を覗くとゴミで耳の中が一杯になっていて、小さな腫れ物もありました。彼女が痛がるはずです。
Drスルタンは彼女に「お母さんにお湯を沸かしてもらい、タオルをお湯に濡らして耳掃除をしてもらうようにしなさい」と言いました。女の子は小さく頷いていました。
しかし、母親がDrスルタンの指示通りにやってくれるのだろうか、垢で黒くなっている彼女の手足を見て不安でした。彼女の生活環境の中でこの事が実行されるとはとても思えなかったのです。
どうしたものかと考えていたら、Drスルタンは門番兼看護士に彼女の家に行って、母親に耳掃除をするように伝えるよう指示しました。それを聞いてホッとしました。


診療所5.jpg 診療所の中に私の特別席があります。私(左端)の右隣にいらっしゃるのがアッバース主任先生で私のウルドゥ語の先生でもあります。そして右端に立っているのがDrスルタン氏です。

JFSA事務局海外事業担当 西村
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2008年02月23日

カチラクンディ分校の通学U


通学路1.jpg今日は、この子ども達の下校に付き合いました。
先日(1月26日)下校を付き合った子ども達の住む集落は、学校から見てゴミ捨て場を横断して西の方にありましたが、この子ども達は東の方の丘陵の中腹にある集落から通っています。
学校からの距離は約3キロほど離れています。


通学路2.jpg


(←ゴミ捨て場を横断していきます)







通学路3.jpg彼等と歩き始めた頃は口数も少なかったのですが、私のおどけに少しずつ乗り始め、イイ笑顔をみせてくれるようになりました。







通学路4.jpg子ども達の後方にある丘陵の向こうに送電線の塔が見えますが、その先にゴミ捨て場がありカチラクンディ分校があります。
ここから更に1キロ先に彼等の集落があります。






カチラクンディ 下校風景2 050.jpg子ども達が住む集落に到着。約3キロの道のりでしたが、子ども達とおしゃべりをしながら歩いたので疲れもなく楽しいひと時でした。皆と一緒の写真を村の人に頼みました。私がいきなり「ジンダバード、パキスタン!(パキスタン万歳!)」と手を挙げたら、一斉に子ども達も手を挙げてくれました。


JFSA事務局海外事業担当 西村




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カチラクンディ分校の通学


通学路a.jpgカチラクンディ分校は12時に授業が終了する。私とDrスルタンはこの三人の6年生の下校に付き合った。
この少年たちは15歳であるが、クラスは6年生である。普通パキスタンでは6年生は11歳の子ども達が学んでいるのだが、彼等は以下の理由で4年間もブランクがあった。





通学路e.jpgゴミ捨て場を囲むようにしてある丘陵の中に彼等の住む集落はある。
(←生徒たちが暮らす集落)
そこには数年前に先生一人の政府の学校があったが、子ども達の話によると或る日突然先生が来なくなり学校も閉鎖されてしまった。
そして近くに学校が無く通学する事が出来なかった為、学校には行かず親の仕事の手伝いをしていたということだ。親達の仕事はこの丘陵の地主の畑作業と家畜の飼育である。家畜にはゴミ捨て場の生ゴミを食べさせているので、毎日ゴミ捨て場に家畜を連れて行く。
下校の途中、カチラクンディ分校を中途退学した女の子に会った。Drスルタンは彼女の事を知っていた。今、授業は受けていないが具合が悪くなると診療所にやってくるという事だった。


通学路b.jpg彼等の登下校の道は、ゴミ捨て場の中央を横断するので、雨が降ると道がぬかるんで二日ほどは学校に通えなくなるそうだ。
学校で時々彼等にインタビューを行なっているが、その時の表情は緊張していて彼等の暮らしのありようを聞きだすのに苦労するし、早く終わらないかナーという子どもの思いもを感じる。
しかし、彼等と一緒に帰り道を歩きながら交わす言葉のやり取りでは、鮮やかに彼等の暮らしが見えてくる。私の質問に答える事にも積極的で、何か楽しそうである。

通学路c.jpg「ほら、この窪地はここら辺まで水が溜まってしまうんだ。
(←雨が降ると水が溜まり川のようになってゴミ捨て場の中を流れるという窪地)
一度、こいつ落ちた事あるんだぜ」「あれ見て見て!、(ゴミ捨て場の中を指さして)牛を連れているのは俺の親父だよ」・・・・・と言う具合に。





通学路d.jpgこのサボテンを使っていろいろな遊びができることを教えてくれた。カチラクンディ分校から彼等の集落まで約3キロほど離れている。登校の時は30分、下校の時は遊んで変えるので1時間ぐらい掛かるかなーと話してくれた。

JFSA事務局海外事業担当 西村






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2008年02月18日

「アルカイール・アカデミー本校について」


アルカイール本校.jpgアルカイールアカデミー本校の全景です。右端が職業訓練所です。本校の中央部分に見える青いシートは、昨年の6月にカラチを襲った台風によって倒れてしまった木の代わりに中庭に日陰を作る為に造られた日除けテンとです。また、本校の壁に見える文字と模様は政党が勝手に書き付けたものです。選挙が近づくに連れて学校の壁への文字や旗などが増えていきそうです。




アルカイール本校2.jpg午後1時30分から始まる授業を受ける子ども達の「始まりのお祈りと国歌斉唱の集まり」です。









アルカイール本校3.jpg10年生の生徒です。今年の5月にマトリック(大学入学資格検定試験)を受験します。働きながら学ぶ子ども達の努力の成果がありますように。そして彼等の成果がパキスタン社会で彼等が受け売れられますように。もし、努力の結果が受け入れないとしても挫けることなく生きていけるように。また、この若者達の笑顔が消えませんように・・・・・・。この社会の政治的・経済的状況を知れば知るほど、何かに祈りたい気持ちになってしまいます。






アルカイール本校4.jpgテスト前の休み時間に、中庭で記憶に励む7年生。いつもと違う緊張した表情をしていました。

JFSA事務局海外事業担当 西村

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2008年02月15日

カチラクンディに住む人々の水を運ぶタンクローリー


タンクローリー.jpg水道・井戸などの水の設備が無いカチラクンディでは、商売人が運ぶ水を、10リットルほど入るバケツ一杯分を5RSで買っています。
このタンクローリーの水は、ゴミ捨て場の集落にある高さ1・5メートル長さ3メートル四方のコンクリートのプールに入れられ、そこで住民に売られています。このプールの壁には水を求めて飛んでくる大量のハエがたかっています。
カチラクンディ分校の中には住民の為の小さな診療所もありますが、病気の予防の為にはこの飲料水の管理も考えねばならないと思います。
診療所のDrスルタン氏と住民と相談したいと思います。

JFSA事務局海外事業担当 西村
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2008年02月06日

きれいにすること


きれいにすること.jpgこの写真の少年は、カチラクンディ分校の診療所で足の傷を治療している生徒です。足の指の付け根とかかとの傷が痛むと言っておりました。
傷はゴミ捨て場の金属拾いの手伝いで出来たのですが、傷が垢で埋まっていて膿んでいました。
身体をきれいにしなさいとカチラクンディ分校内診療所のDrスルタンに言われていたので、私は少年が帰った後、Drスルタンに言いました。傷口などをきれいにする水も無く、ゴミの中で仕事をせざるを得ないので身体をきれいにしなさいと言っても・・・・と。
すると「その通りだ。しかし、きれいにしなければ破傷風などに掛かって死ぬ事もあることを伝えなければならない。きれいにする必要性をしっかり理解すればこんな環境の中でも少しでも身近な環境を良くしていこうと思うだろう」と話してくれました。
Drスルタンも、だんだんとムザヒル校長の考えに近づいてきているような気がしました。
JFSA事務局海外事業担当 西村
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特別席の新人


特別席の新人.jpgここは校長室です。
彼女は事務机で勉強します。この子にはクラスルームがありません。私も校長室で(ウルドゥ語の)勉強をする事がありますが、時々彼女はジーッと私を見ている事があります。
目線を感じて彼女を見ると、あわてて目線をそらします。
彼女は私の事を同じ特別席のメンバーだと思っているようです。「だって わたしより ウルドゥごを うまくはなせないし じも わたしより へたなんだもの」とね。
JFSA事務局海外事業担当 西村

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2008年01月15日

ハジケンプの路上で働く子どもたち


カラチ市 街の風景1 08年1月 065.jpgハジケンプ(*@)で、果物を売っている兄妹がいました。バナナ、チクー(見かけはキウイーに似ていますが中味は甘いです)、リンゴ等をテーリー(リヤカーですが物を置く台がタイヤの上部にあります)に載せて売っていました。
少年は幼い妹の子守をしながら、朝10時ごろから夕方日が沈む前(午後5時ごろ)まで、毎日この仕事をしているそうです。テーリーも品物もオーナーのものなので、どんなに売っても50RSしかもらえないそうです。しかし、時にはたくさん売れるとオーナーが10RS余分にくれたりもすると、少し笑みを浮かべて話してくれました。
ワリーさん(*A)に、ハジケンプでこのように学校に行く事も出来ずにいる子ども達に、なんとか学べるチャンスを作る事は出来ないものかと話しました。ワリーさんは、「ウーン・・・・、西村サーンそれはとても難しい・・」と言いました。
この子自身の家庭の事情への思い、親の考え、この子の稼ぎ、貧しければ幼い子どもでも当然働くべきだと考えているこの地域の人々などの事が、ワリーさんの頭の中を巡っていることが彼の言葉の端から感じられました。
そんなワリーさんを見ながら思いました。JFSAの古着を売る相手として、卸業者である彼との付き合いが始まった4年ほど前に、こんな事を言ったら口には出さなくても「何を馬鹿な事を言っているのだ」と、ニヤニヤしながら聞き流されていたと思います。
しかし、この4年の間のJFSAやアルカイールアカデミーとの付き合いで彼の考えは変化しているようです。彼が「うーん・・・」と唸った様子から、それを感じ取りました。
そんなワリーさんとムザヒル校長の存在があるのですから、この子ども達に教育の機会を得られる可能性の芽はあるように思えました。かと言って実現する事は容易ではないと思いますが、「何とかするぞ」という思いで今後、ハジケンプで働く子ども達に目を向けたいと思います。

*@ハジケンプ・・・カラチ市内にある古着の卸売り問屋街。世界中からパキスタンに輸入された古着がここに集まっています。現地パキスタン国内で消費される以外にも、アメリカやヨーロッパの古着目当てに海外から足を運ぶ業者の姿もあります。JFSAもAKBG(アルカイール事業グループ)を通して、日本では集めにくい古着などを輸入しています。
さらに小売り店街としてライトハウスバザールという2KM程も店が軒を連ねる所もあります。
*Aワリーさん・・・JFSAから輸入した古着などはAKBGによってバザールで小売りされる他、ワリーさんのような業者に卸売り販売もしています。

JFSA事務局海外事業担当 西村
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2008年01月09日

特別席


ムルタン焼発送作業アルカイールにて 034.jpg私が昨年10月に学校を訪問した時、ママダリ(アルカイールアカデミーの初代卒業生10人の中の1人で、現在はタクシーの運転手をしながらアルカイール・アカデミーのサポートもしている)の長男坊君は授業態度が悪いと言う事で特別に校長室で勉強していました。
先日、校長室に行くと彼の姿が無かったので教室に復帰したのだなと思いました。しかし、彼は思いがけないところにいました。私は彼に聞きました。「罰はまだ続いているのかな?」と。
彼はニコニコして答えてくれました。「罰は軽くなったんだ、だって自分のクラスに近くなったんだから」と。さすがママダリの息子だなと思いました。
JFSA事務局海外事業担当 西村
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2008年01月03日

1月2日(水)ムルタン焼き検品・梱包作業を継続中


ムルタン焼新サンプル07年12月 002.jpg12月31日になって、カラチもバスが走るようになって治安が少し回復してきたようです。しかし、市内の地域によっては危険な状況に変化がないところもあります。それは日ごろから政治的・民族的な対立が生じていたところのようです。周辺との民族的な対立があったハジケンプや政治的対立(MQMとPPP)が顕著であるニューカラチもそのような場所でした。そのため、アルカイールも1月2日にようやく授業を開始しました。しかし、私は外出する事を止められています。それは、政治的な暴動は治まりつつありますが一般的犯罪、特に強盗が多発している為です。貧困の中で喘ぐ人々の中には、犠牲祭の休み直後の暴動による4日余りの休みによって物価が跳ね上がり、食事を取ることも出来ない状態になっているということですから強盗が増えるのも無理のないことかなと思ってしまいます。
また、選挙の投開票日を1月8日の予定から一ヶ月以上先の2月18日することになりそうで、そのことに反対している野党の抗議行動が起こることが予想されるので暫らくは治安が安定しないということも考えられます。アルカイールと安全の対策を万全にしておきたいと思います。
そのようなわけで、私が外出できないので滞在先のムザヒル校長宅でムルタン焼の蚊取り線香立ての検品・梱包の作業を行なっています。12月31日から始めて今日(1月2日)で三日目になりますが、用心をしながら学校からムルタン焼を運び入れていること、学校の子ども達が手伝うことができないことで作業が思うようには進んでいません。やっと600個ほどの検品・梱包が終わりましたが、あと三日ほどは掛かりそうです。
JFSA事務局海外事業担当 西村
*写真がムルタン焼の蚊取り線香立て
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2007年12月31日

12月28日(金)少年の呟き


ムルタン焼発送作業アルカイールにて 001.jpgテレビのニュースによると市街地でも車が襲われて燃やされたようです。しかし、午後になって市内の各所にレインジャー部隊が配置され、テレビで「治安を乱すものは容赦なく発砲する」と伝えられたので、明日には少し治まってくるのではと、ムザヒル氏(アルカイール・アカデミー校長)は話しています。
ムザヒル氏宅周辺のF・Bエリアは何事も起こってはいませんが、車は殆んど走っていないようです。そして通りにある店もすべて閉まっているということでした。(私は外に出られないので、この情報はモスクにお祈りに行ったムザヒル氏によるものです。モスクにはいつにもなく沢山の人がお祈りに来ていたそうです。仕事が休みになったからだとも言っておりました)
タスリーム(ムザヒル校長夫人/副校長)は「牛乳屋さんが開かないのでチャイが作れない」と、こぼしていました。車が襲われる事を恐れて、牧場から牛乳を運んでくる事が出来ないのです。賄い婦のジャミダもその息子のクァラムも仕事場に行く事が出来ません。
スラムの人々の多くが日雇いで働いているので彼等にとっては深刻な問題です。昨日、AKBG(アルカイールビジネスグループ)の仕事を手伝ってくれた、働きながら職業訓練所の電気科で学んでいる12歳の少年は、「バクライード(イスラム教の犠牲祭)が終わって、やっと仕事が出来る。イード前は物価も急に高くなったので大変だったんだ。これから家族みんなで稼がなくちゃ。」と私に話をしてくれました。それが、こんな状況になり、彼も彼の家族も仕事が出来なくなっている事だろうと思います。彼のことを思うと心が痛みます。
テレビではブット元首相の功績をたたえ、今後の政治的動向を評論家達が憂えているとか、国連も卑劣な行為だと非難しているなどと伝えています。それもよいでしょう。しかし、インパクト狙いに終始せず、この少年のつぶやきを始め、政治的な動向に翻弄される貧しき人々の声も伝えて欲しいものだと思いました。無名の人々の声を拾い上げて伝えることこそがメディアの仕事ではないのだろうか?などと、ムザヒル校長とともに、おいしいチャイが飲めない腹立たしさもこめて話し合っています。
JFSA事務局海外事業担当 西村
*写真右が西村
左の方は、来年度からカレッジの英語の先生をする事になった人です。カレッジの先生を確保する事にムザヒル氏は苦労しているようですが、この日は理科系の先生が面接に来ていましたので徐々に揃ってくるのではと期待しています。



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